俺教

俺の考え方を説く

mid90s感想

 

俺。mid90s観た。なんかねー、これはねー、男の映画だね。いわゆる昔ながらの漢!って感じのやつじゃなくてリアルな男の世界。男子か。manってよりboyだな。絶妙な関係の変化やバランス感ががちでリアルすぎる。ちょっと胸がきゅっとなるレベル。今の時代は昔ほどきつくないけどね。それでも気が弱いと人生は何かと大変だね。特に男は。ってかまじで微妙な心理や関係が描かれすぎて勘の悪い経験ないやつは流れ理解できないんじゃね。序盤のスティーヴィーみたいにさ。あんま映画っぽくはないかも。ドキュメンタリーみたいな、それとも違うか。独特。個人的にはかなり高評価。最後の伏線回収というかタイトル回収も綺麗。

エイムより反応の方が大事

 

俺。FPSの話題。俺はエイムがいい。反応は悪い。集中して0.2くらい。思ったことがある。反応が早いということは細かくエイムができるってことなんじゃないか?

例えばだけど反応速度が0.2秒なら1秒間に5回反応できる。0.1秒なら10回。この回数だけ敵の動きに沿ってエイムを修正できるってことじゃないか?くそざっくりだけど。つまり反応≒エイムでもあるってこと。

俺は撃ち合いはかなり得意な方なんだが(タイマンで負けることはほとんどない)、先日少々負けがこんだのでクリップを撮って見返してみた。相手視点も観戦して気づいた。反応が遅い。相手のエイムはがばいけど反応がいいから俺が撃ち負けている。撃ち合い力はエイムとキャラコンと反応と駆け引きからなる。俺には反応が足りていない。しかし0.2という数値は悪くない数字のはず。恐らくマッチ中の集中にムラがあって恐らくそのタイミングで来た時にやられている。まぁ、正直回線の問題もある。無線だし。50pingだし。大体反応はえーなってやつを見ると9ping。これは首都圏のping。とうきょーに近々引っ越すのでどのくらい変わるか気になるな。がちで全てを忘れるくらい画面に齧りつくと確かに反応速度は明らかに上がって勝ちやすくなる。最近はフレンドとまったり楽しむことが多いから前みたいにチャキチャキした反応とエイムがなくなってきてるのかもな。ハイレベルな集中をラウンド中維持し続けたいものだね。

てかしれっとこのブログ始めてから1年たとうとしてるのえぐすぎる。ゲームは人生が短くなるので今からやろうとしてる人は辞めておけ。あと精神衛生にも悪い。特にオンゲーは。オフゲーはいいぞ。メトロ2033とかおすすめ。続編ラストライトとエクソダスも。この前DLCやってイイハナシダナーと思った。雰囲気が神すぎ。山本直樹といい、メトロといい、あっさりとした絶望感というか無常観が溢れてて最高なんだわ。人生ってまじでちっぽけで無意味なんだよ。ゲームでハイスコアとっても意味ねーのと一緒でいくら金稼いでもいくら出世してもいくらモテても意味ねーの。意味ねー中で意味ねーけどやってて気分良いことをただやればいいんだよ人生は。それぞれが自分だけの楽しみを見つけてただやっていけばいい。楽しけりゃいい。幸せならいい。だから別にゲームしても幸せならそれでいい。俺は正直オンゲーの競争に疲れた。クリップ集を作るモチベも少し薄れてきた。満足感に対して時間取られすぎんだよ。これタイパやね。絶対キャンプしたり女と遊んだり旅行したりする方がタイパいいし満足度も高ぇ。ゲームは身内でたまーにやるくらいでいいんだよなと最近思い始めている。でもタイパを考えて合理的に快楽度合いの高い趣味や行動を選択するのもなんかなーとは思わなくもない。んー、でも執着は良くない。「幸せって多分どうしたら幸せになれるかなんて考えもしない状態のこと」ってどこで聞いた言葉だっけ。これはマジな気がする。俺は幸せになりたい。後悔したくない。執着はやめよう。幸せになる、後悔しない、これらにすら執着しない。目指しはするがほどほどに。本気で目指すこともあれば休むことも。何事もバランス。休みすぎも多分違う。時には全力、時には脱力。

人生が楽しくないのはいつもお前のせい

 

お前は普段これもつまらんあれもつまらんと口癖のように言っていないか?ひとつ言わせてもらう。全部お前のせいだ。

 

先日旧友らとテニスをする機会があった。旧友と言っても腐れ縁のようなもので仲がいいとかそういうものじゃない。その日は風が強くてソフトテニサーの我々は大変困った。旧友は風が強くてつまらん、できないと時間の大半をベンチで腐って過ごした。違う。つまらなくしてるのは常にお前自身だ。風の影響を少なく抑えられる方法を模索してみよう、いっそのこと強い風を使った遊びを考えてみよう、そういった考え方ができるかが俺は大事だと思うんだ。

俺は今まで新しい経験をする度に「所詮こんなモノか」という感覚を味わってきた。親からクリスマスプレゼントを貰った時も小学校から中学校に上がった時も初めて彼女が出来た時も初めてセックスをした時も。いつだって「まぁ、こんなもんか」そう感じてきた。でも違う。こんなもんにしているのは常に俺自身だった。楽しむ努力を工夫を怠ってきた俺が悪い。どんなに金があったってどんなに楽しいことをしたって楽しむ気持ちがなければちっとも楽しくない。逆に楽しむ気持ちがあれば何でも楽しくなる。

俺が浪人して周りが大学生になる。大学をエンジョイしてる友達に「出会いがないぜ」と嘆く。「サークルでも入ってみれば?」とスマホを取りだして調べて「こういうのとかどうだ?」と社会人サークルの情報を表示させたスマホを見せてくる。一方大学がつまらんと言っている友達に「普段何してる?」と訊いてみる。「何もしてない。スマホ見て大学行って飯食って寝るだけ。」サークルにも彼は入っていないという。大人になると誰かが勝手に楽しみを用意してくれなくなる。学生の頃楽しみにしていたあの授業も、行事も、大人になれば自分から参加したり企画しないといけなくなる。誰かが楽しいことに誘ってくれるのを待っているだけじゃもうだめなんだよ。受動的に楽しませてもらうんじゃなくて自分から楽しもうとする姿勢がなきゃ人生は楽しくならないんだよ。サークルに参加しなくてもいい。飯食って大学に行くだけでいいじゃないか。授業をたまにはじっくり聴いてみたり、飯もいつものところじゃなくてより近場で安くてうまい所を探してみたりすれば今よりずっと楽しくなるんじゃないか?近所の飯屋を制覇してみたらどうだ?そういった姿勢こそが人生を豊かにするんだよ。

インフルエンサーが発信してるような事をすれば人生は楽しいのか?ランボルギーニに乗れれば人生は楽しいのか?ドバイに豪邸があれば人生は楽しいのか?セフレが100人居れば人生は楽しいのか?親友が100人居れば人生は楽しいのか?イケメンに生まれれば?頭が良ければ?運動ができれば?そうじゃない人生は楽しくないのか?そんなわけないだろ。いつだって楽しむのはお前であり、物事が楽しいか楽しくないかはお前次第なんだ。

 

ちなみに俺は最近鼻かんだティッシュをダーツの投げ方でより遠くからゴミ箱に入れるって遊びが楽しくて仕方ないぞ。

シンプルなインテリアは富裕層の真似事

 

俺。

最近、家の中に落書きしてあるようなストリートというかスラムみたいなインテリアにハマっている。映画で言うとチャッピーのニンジャたちのアジトみたいな感じだ。前まではシンプルでミニマル、かつ高級感のあるコンクリートモルタルっぽい感じのインテリアが好きだった。

話は変わるが俺は服が好きだ。暇があればしょっちゅう古着屋や服屋に行く。服とインテリアって割と近い位置にあるんじゃないかなぁと思う。服もインテリアもコーディネートとという言葉を使うし、服のコーディネートを考える時とインテリアのコーディネートを考える時のプロセスはよく似ている。オシャレになるためのポイントはいくつもあるが、そのひとつに自分の強みを理解してそれを活かす、というものがある。高身長ならば高身長を活かしたスラッとしたコーデをし、低身長ならば低身長を活かした可愛めのコーデをするという具合だ。もちろんこれを外すのもアリだし、絶対ではない。でも高身長が低身長コーデを、低身長が高身長コーデをするとやはり違和感がある。俺も一時期可愛いサブカルや地雷の要素を取り入れたコーデにハマっていたが、180cmほどの身長がある俺にはどう頑張っても完全には似合わなかった。結局のところ、高いレベルのオシャレを目指すなら分相応のコーデをするのが良いということだ。

これはインテリアにも同じことが言える。日本の家は海外に比べて圧倒的に小さい。シンプル、ミニマルなインテリアというのは「空間」という家具を大量に配置したインテリアスタイルだ。決して物が少ないという意味では無い。もちろん物を減らして家具をシンプルなものにすればある程度はシンプルなインテリアになるだろう。しかしどこか垢抜けない。なぜか。シンプルなインテリアに1番大事なのは空間だからだ。本来シンプルなインテリアは広い空間を活かした海外、そして富裕層向けのインテリアだからだ。根本的に日本の狭い部屋には合わないのだ。服で言えば身長が低いのに背伸びして高身長コーデをしてるようなイメージだ。だが低身長だから、狭い部屋だからダメなのでは無い。低身長には低身長なりの、狭い部屋には狭い部屋なりのオシャレの仕方がある。その解の1つがスラム、ストリート的インテリアだと思う。スラムやストリートはそもそも狭い空間からなるものだからだ。低所得で密集、窮屈。そういったとこから生まれた文化やスタイルが1番マッチしているのは狭い空間であることは言うまでもない。狭い空間には狭い空間に合ったインテリアを選択するべきだと俺は思う。そなとこー

聲の形 石田君死亡説

 

おれ。聲の形みた。2回目かな?感想軽く。石田死亡説提唱します。

 

これは恐ろしいお話なんじゃないかと思えてきた。石田死亡説を提唱させてくれ。あの花火がなった橋で石田君は死んでたんじゃないか?あの橋での自殺未遂以後の話は石田君の走馬灯か妄想なんじゃねぇか?前観た時はくっせぇお話だと思ったが、実はどす黒い観客を嘲笑う話なんじゃねぇか?

俺も前にいじめられたことがあるんだが、いじめてきたやつになんか俺だったら二度と会いたくないぞ。当然顔も見たくない。思い出すだけでも最悪だ。序盤のシーン、石田君は西宮に会いに行っている。石田君曰く「死ぬ前の儀式的なやつ」だそう。そんなことを言ってたと思う。つまり橋での自殺未遂以前に西宮に会いに行ったということ。西宮がいじめられていた時のノートを渡そうとしたのもその段階。西宮からしたらどうだろう?いじめてきたやつが突然現れて友達になろう、そしていじめられていた頃のノートを見せてくる。これは西宮にとって最悪の邂逅じゃないか?そして西宮と会った後に橋へ向かった事になる。石田くんは西宮と会って思わず「友達になろう」の手話をした。その時点で二人の関係が確かに動き出した描写になっている。石田君もそう感じていたはず。そこから橋に向かうだろうか?これだけだとイマイチか。もう少し別な所を。

この物語は石田君の主観的かつ自己中心的な贖罪の物語なんじゃないかと思っている。個人的に他に気になったのは花火大会後に自殺しようとする西宮を助けるシーン。落ちるさなか「西宮にどう思われていたか聞いておけば良かった」というようなことを言っていた。これは西宮にとってはどうでもいい事であり、結局自分がどう見られるかという自分主体の思考に終始していた事を示唆している。そもそもいじめてきたやつを好きになるか?小学生の頃の石田君、友達になろうと言う西宮に対し、赤くなっているシーンがある。ちょっと気があるワケだ。つまりこの展開は石田君にとって「かなり」都合がいい展開になっている。

後半では「ごめんなさい!」と謝罪シーンの目立つ西宮。でも西宮って本当にそんな人だったのだろうか。私が悪いから私が死ねばいいんだ。そんな考え方の人だったんだろうか。そうでは無いと思う。個人的に決定的なのは小学生の最後のシーン。「なんかいえよ」と威圧的な態度の石田君を押し倒して「これでも頑張ってる」と泣きながら反撃する。西宮の強さが垣間見えるシーンだ。それに西宮は転校してきたから前の学校があるわけだが、そこでもいじめられていたと考えられる。序盤opのザ・フーのマイジェネレーションが流れているところ。美容室にびしょ濡れで頭に葉っぱをのせた西宮らしき人物が描かれている。その姿は悲しげというかなんと言うか、少なくとも楽しくは無さそうで自分で飛び込んだわけではないようだ。この時点で西宮は転校してきていない。西宮の転校時の髪型はショートだったがこのシーンではロング。つまり前の学校でもいじめられていたんじゃないか?で、髪をばっさり切って心機一転新しい学校へ、という流れだったんじゃないか?そんなびしょ濡れになるようなイジメを受けてなお、いじらしく立ち上がり不登校にもならず学校へ行こうとする西宮。いじめっ子にも果敢に反撃する西宮。後半の「ごめんなさい」を連呼する西宮とはどうも繋がっているように感じられない。西宮は石田君が思っている以上にもっと強い女の子だと俺は思う。それに西宮家の人間は強い人ばかりだ。母親も妹も強い人間として描かれている。つまり後半の西宮は石田君の考えるか弱い西宮で、「そんなか弱い西宮を俺が支えなきゃ」という思い上がった石田君の身勝手な贖罪が描かれているのではないだろうか?

登場人物の身勝手さは他の部分にも描かれている。花火大会後の自殺シーン。自殺とはある種の救済の側面があると俺は思う。だから自殺を無理に止めたりしない。それを無理に止めたり、「生きてりゃいいことある」なんて知らん口をきく事がどれだけ残酷なことか。石田君は西宮の自殺を止めて西宮を生かした。(そもそもこのシーンは実際にはなかったと思うけど)西宮を助ける。西宮からの見え方を気にする。そして川井さんの言葉。「生きていれば辛いこともある。誰だってそう。それでも前に進まなきゃ」そんなこと言えない。言えるはずがない。誰だってそう?そんなこと言われて「ああそうか」なんてなると思うのか?辛さの量も感じ方も種類も人によって違う。完全に他者を理解することはできない。実際描かれている限りでは西宮と川井さんの苦痛には歴然の差がある。それなのに一様に「前に進まなきゃ?」西宮の心情に寄り添っているとは言い難いんじゃないか?反出生主義とか考えたことなさそうだな。

それから髪型が実はこの物語において重要な役割を果たしているのではないかと思う。突然髪型を変えてきた川井さん。告白前にポニテにする西宮(かわいい)。転校前に髪を切る西宮。和解してか石田君家の美容室で髪を切る西宮母。石田君の家は美容室。久しぶりに会ったら体型もスラリとして髪型も変わっていた佐原。佐原と西宮は小学生時から髪型が変化しているが、他のキャラはしていない。これは根本的に変化していない、成長していない事を表現しているのでは?鯉に餌やりをする橋の上で周りに毒を吐く石田君、高校生になってなお補聴器を投げて遊ぼうとする植野。彼らは小学生の時から何も変わっていない。それを髪型で示しているのではないだろうか?

それから先入観やバイアスといった思考の偏りの恐ろしさも描かれていると思う。特に顕著なのはゲインロス効果だ。ヤンキーがいい事すると良い奴に見えるあの現象。またその逆もある。良い奴がちょっと悪いことをするとすごく悪い奴に見える。石田君や植野はちょっと良い奴になった感が終盤でているが、それは過去の行いの贖罪にはならない。小学生の石田君の行いは明らかに度を超えていてそう簡単に許されるものでは無い。物語の中で行われた贖罪行為と西宮のいじめられた負担は到底釣り合わない。それなのに石田君の主観に近い形で描かれる物語を見せられる我々は石田君の成長や更生っぷりに感動を誘われる。素直に感動してるようなやつは石田や植野なんかと変わらない暴力性や自己中心的な思考を持ったやつだと観客を笑いたいんじゃないか?もう1人、バイアスがかかっているキャラがいる。川井さんだ。川井さんはなんとなく作中で腹黒いキャラとして描かれる。「酷い!」と相手を一撃で悪者にする必殺技を使う実は作中一の悪女、のような形で。しかし考えてみてほしい。転校してきた西宮にそれなりに積極的に優しく接し、他の人に対しても基本柔和な態度で人を傷つけない。小学生時の掃除シーン、だべって掃除をサボる植野と対照的に黒板をしっかり掃除する川井さんの姿がある。高校生時も浮いてる石田君含め皆と分け隔てなく接している。しかし1部悪いシーンが目立つせいで植野より石田君より実は性悪のように見えてしまう。もちろんいじめに加担していたかといえばどちらかと言えばYESだろう。でもその程度には石田君や植野とは天と地ほどの差がある。中盤、「私と石田君や植野さんを一緒にしないで!」みたいなことを言っていたシーンがある。いっしょくたにするな。これはバイアスのかかった観客には保身に見えるだろう。もちろん保身の意味合いもあるのだが、石田君や植野のいじめとは訳が違うという主張には一定程度の正当性があるとは思わないか?川井さんの敵を作らない性格が結果的にいじめに同調する形で描写されているだけで、事実だけをシンプルにみればそんなに悪い奴ではないのだ。

 

まぁ、こんなところかな。バーっと書いたからちょと適当だけども。言わんとすることは分かるだろう?今回は石田君は死んでいてこの物語はその走馬灯(ないしは妄想)ではないかというところを書いてみた。実際決定的な描写があるわけじゃないから絶対じゃないけど、こういう見方もできる、と思う。全体的に絵が淡くて、視界の端は色がぼやけてる本作。西宮母にいまいちピントがあってないシーンがあったりするのも気になる。橋で死んだ石田君が最後に西宮母を見たのは小学生の時だからでは?まぁ、これも石田君死亡説を成り立たせるためにその説を補強するような部分が浮いて見えるバイアスなんですけどね。俺の言ってる事に素直に共感してるようだと怖いですよ。

ほんとバイアスってこわいね。

we sent your device a notification to connectを解決する方法

俺です。クソ困ってようやく解決したので俺のPCのメモをまんま移しただけだけど載せるね。解決したらコメントでもくれ。最後まで読んでから最初に戻ってやってみてね。

 

IPhoneからpcに写真データを移す方法

スマホとpcを繋いでフォトアプリからインポート

純正ケーブルじゃなくても転送できることを確認。20240211

謎に転送できなかった写真は手動でiphoneフォルダ内を検索及びコピペして移した。
あとiPhoneだと同じファイル名の写真が複数含まれていることがある。この場合は一旦pc内の適当なフォルダに重複するファイルを移し、他の写真が入っているフォルダに入れようとするとフォルダごとに置き換えるか選択するみたいなやつが出る。それを押してあとはないように従ってりょうほうのチェックボックスにチェックを入れてファイルを移動させる。確認すると、重複していたファイルの片方に(2)とついているはず。それならok

20240214 インポート作業をしようとしたときにwe sent your device a notification to connect と出てしまう問題を解決する方法をおそらく発見。USBハブをPCに接続し、そこにケーブルとiPhoneを接続。iPhoneはロック解除しておくこと。一応写真アプリも開いておくと尚良。それからデバイスマネージャーを開きユニバーサルシリアスバスコンピューターを開く。そこでUSBハブを接続しているときにだけ出てくる項目、というかハブを指すやつ(俺のANKERのやつの場合は「汎用SuperSpeed USB ハブ」という名前。1番上にあるとは限らない)のプロパティを開き、電源の管理、「電力の節約のために、コンピューターでこのデバイスの電源をオフにできるようにする」のチェックを外す。これでフォトアプリからインポートが可能になるはず。ちなみにUSBハブを外すと設定がリセットされるようなのでUSBハブを接続するたびにこの操作を行う必要があると思われる。

なお作業中にiPhoneがロックされると動作が不安定になる事があるので、iPhoneの設定で自動で画面がロックされないように一時的に設定しておくと良い。

 

20240214記事公開後追記

20240214 再度接続し直した際、やはりwe sent your device a notification to connectとでてしまう問題が発生。電源をオフにできるようにするチェックも外しているのに。その他の条件もほぼ同じなのに。その後解決。iTunesを開きIOSのアップデートがありますと表示されたらアップデートをそのまま進める。するとiPhoneにアップデートを進めるためにはパスコードを入力する必要がありますとかいってiPhoneにパスコード入力画面が表示される。それを入力し、アップデート作業が進行し始めたタイミングで、インポートが再度可能になった。このアップデートに伴うパスコード入力が「このコンピューターを信頼する」と似たような効果を持ち、ガードが外れることでpcから写真データにもアクセス可能になる?あまり推奨されるものではないが、アップデートを完全に完了させてしまうとこのnotificationが出てこなくなるので写真の転送が終わり次第、アップデートをキャンセルするのが良いかも?もしくはnotificationがでてパスコードを入力し、インポートが可能になった段階でアップデートをキャンセルするか?そこは未検証。

追記終わり

 

https://www.youtube.com/watch?v=bl3OQ5ZaJMs

 

正直いうと上のURLの動画でやってることをそのままやっただけです。この記事で載せたのは動画後半の解決法ですが、エラーを初めて解消した時は前半の操作も行いました。2回目は後半及びこの記事で載せた操作でエラーを解消できました。なので1度もこのエラーを解消できてない人は動画の前半の操作も行ってください。見よう見まねでそのままやればOKです。他にもネットに色んな解決法が載ってますが、動画の操作で1発でした。ついでに言っておくとiPhoneの省電力モードも切る、アップデートはPC、iPhone共に行っておく、このPCを信頼するを初回で選択している(できてない場合はAppleのヘルプで見れるやり方でリセットしてね)辺りも重要かと思います。俺はその辺も含めてむっちゃ試したっす。がちで時間かかった。俺のPCはゲーミングノートなので特殊な事例なのかもしれません。ゆえに解決法もあまり出回ってない…?やっぱり機械に省電力を求めてはいけない。今回のこれも恐らくデスクトップならないんだろうな。電力の節約なんてあまりする必要が無いから。ノートはバッテリー駆動があるからね。節電したいという需要もあるから設定も存在してるんだろう。まじでノートはやめとけwもしこの記事で解決したら貴方の時間が失われるのを防いだことになります。命とは寿命、つまり人生のことです。俺はあなたの命を部分的に救ったわけです。命の恩人です。俺のほしい物リストからなんかお礼をするのがスジってもんだぜ?(^^)人に助けられてお礼するって人として大事な事じゃねぇかな?(^^)(^^)(^^)(^^)俺のプロフィール?にほしい物リストのURLがあるぜ?今すぐクリック!(^^)(^^)(^^)(^^)ま、コメントだけでもいいけどな。

シワが描かれてるアニメはいいアニメ

俺です。

しわが描かれてるアニメはいいアニメです。元々シワがあるキャラとかじゃなくて、子供キャラとかでもシーンによっては、感情によってはシワが描かれるようなアニメね。2000年代に多いかな。人狼とかAKIRAとかパプリカとか攻殻機動隊とかメトロポリスとか。そこらへんの。それぞれ皺入ってたかはあんま詳しく覚えてねぇけども。俺はあの辺のアニメ好きよ。画質の悪さや全体的な白っぽさ、色の褪せ感も味があっていい。人や物の動き方も細かく、背景や破片の描き込みも凄い。表情の捉え方や人が動く際の癖やちょっとした予備動作のようなものまでよく出来ている。もちろんアニメ「映画」だからってのもあるけどな。にしても完成度は相当に高い。おっと喋りすぎた。シワの話に戻すぜ。

今のアニメキャラってな、顔綺麗すぎんだよ。ツルッツルでよ。シワってのはな。人間の人生が刻まれてんだよ。歳食う度に増えてくんだ。そして重ねてきた感情や経験や表情でも変わっていく。アニメーションは2次元の絵に生命を与える表現方法だ。だが動いてんのがマネキンやぬいぐるみみてーな気色悪いツルペタ人間じゃ心は動かされねー。人間ってな、醜くて汚くて臭いただの動物なんだよ。ちょーっと賢いだけの猿なんだよ。そんな美しい生き物じゃない。左右対称じゃねぇし汗も出れば鼻くそも目くそもでんだよ。もちろんデフォルメされたKAWAIIキャラもいいとは思う。でもちと多すぎやしねぇか?最近のアニメはそればっかりだ。萌主体じゃないアニメでも揃いも揃ってきれいな顔してやがる。異世界ものとかまじ大嫌いだよ俺。アニメは現代人の現実逃避用の娯楽に成り下がったのか?たまにはいいぜ?たまには。多すぎんだよ。今それしかねぇぐらいでよ。画一的で芸がない。