俺教

俺の考え方を説く

人格になんの影響もない作品はありえない

 

 

どうもAimManです。

 

皆さんは創作で心を動かされたり、価値観が変わったりした経験はありますか?

 

今回はさっき考えた創作の影響についてちょいと楽に書きたいと思います。

 

皆さんは幼少期、なんのアニメや漫画を見たり読んだりしましたか?僕はガンダムNARUTOジパング頭文字Dで育ちました。同じ10代の中ではちょっとばかし特殊かもしれません。僕が思うのは、これら幼少期に触れた作品の影響は実は我々が思っている以上に大きいのではないかということです。

話は少し変わりますが、世の中にはR18作品というものがありますね。18歳以上じゃないと観たり読んだりしちゃだめよってことです。あれ、なぜ設けられているか知っていますか?答えは18歳未満の子供はフィクションと現実を分けて考える能力が不十分であり、影響や刺激が大きいからなんです。

でもですよ、世の大人たちはフィクションと現実を本当に分けられているんですかね?答えはNOだと思います。全く影響のない作品などありえません。どう見るかいつ見るか誰が見るか何を見るかに関わらず、程度の差はあるにせよ影響を受けることは避けられないと僕は思います。そりゃ子供のように、作中キャラの言葉や行動を真似るような事はしないでしょう。ですが精神の深いところ、価値観や人格の根幹部分に静かに影響を与えるのは間違いないと思っています。所謂バタフライエフェクトというやつです。一見なんの影響もないような作品を鑑賞した経験が後になって判断の違いを生むことだってきっとあるはずです。本人も気づかないレベルで。そもそも作品を鑑賞した後のあなたは鑑賞する前のあなたとは別人になっています。人は経験によってその人格の大部分が作られるからです。経験のない産まれた瞬間の赤子は完全とまではいかないものの比較的フラットな人格です。しかし産まれた瞬間から多くのものを見て聞いて経験します。その経験の蓄積が人格を形成するのです。

よく小説は"心の旅"と言われます。それは、よく練られた作品はその人の人格や人生に影響を及ぼしうるということを言っていると言っても過言ではないと思います。作品を通して精神世界で旅をして、旅が終わる頃にはひと回りもふた回りも成長して帰ってくる。この比喩はそうした素晴らしい体験を端的に言い表したものです。

つまり作品、創作と触れ合う、ということはある種の経験であると言えます。フィクションであると頭では理解しても、それらと触れ合った経験は記憶としてあなたの精神の深いところに降り積もり、人格として姿を現します。大人になればなるほど、1作品あたりの影響は小さくなりますが、影響を受けることは間違いないでしょう。あなたの人生経験全体における作品鑑賞の割合が増えればあなたという存在は作品の中の経験、作品を鑑賞した経験に依存していき、確実に変化します。

そして最初の話題です。あなたが幼い頃に触れた作品。それらは経験の少なかったあの時のあなたの人生においては大きなマウントを占めるものであったはずです。それらは知らず知らずのうちにあなたの人格、人生に多大な影響を与えています。

これは少し感覚的な話になるのですが、人は人生の最初の方に触れた作品が同じであればあるほど、感覚や価値観が近くなると僕は考えています。君はドラゴンボールやな、あんたはワンピースか、お!お前さんはガンダムかな。僕は人と接する時、本当に何となくですが、その人が幼少期に触れた作品の匂いを覚える事があります。検証したことないので分かりませんが、気が合う友達の多くは、実は幼少期に触れた作品が似通っていたりするのではないかなーと思うのです。

我々は作品を創る一方で作品に創られる事もあります。僕は昔からこんな事を考えていたので、鑑賞する作品の選択には少し気を使っています。絶対的な完全オリジナルの価値観は存在しません。多くの作品に触れてきた経験が複雑に絡み合い、今のあなたを作り上げています。フィクション、創作、娯楽、といえど侮れません。あなたはこれまでどのような作品とどのような経験をしてきましたか?そしてこれからどのような作品とどのような経験をしたいですか?

 

なんか最後道徳の教科書みたいになっちゃいましたwお恥ずかしいw

 

AimManでした!